日記

大体そこら辺で拾ってきたなにかです。CVは丹下桜でお願いします。ふええ。

キチガイ 2017/03/12

キチってるおっさんがどうのというタイムライン。

あのおっさん周辺の話題には底知れない闇があってだめだ。グロテスクという言葉では表せないぐらいグロテスク。言葉の限界をあっさり超えてくる現実に辟易。

 

以下、単なる思いつきであり確たるソースは存在しない話。

 

アメリカドラマの作り方は基本的にイベント先行型である。ある日ゾンビが現れたりドームで街が覆われたり群像劇ともされるがその実イベントの多角投写であり、多数の光源が一つの建築物を移していく過程でストックキャラがストックであることを塗り替えていく。ステレオタイプであることは宿命でありストレンジアな論理でイベントを言語化するキャラクターは、少なくともまだイベントの全貌がつかめない序盤や初期メンバーには好ましくない。ウォーキングデッドのタイトル回収シーンがそれにあたる、それだってシーズン4あたりまで伸ばした(記憶が曖昧+確認せず、各方好きによろしく)。

 

日本のアニメ漫画の場合、イベント→リアクションという型を取るのではなくキャラ先行型。ルパンやドラえもんのように自らイベントを起こしハプニングを引き起こす。ここではイベントはむしろ定形であることが求められており(ルパンは盗みドラえもんは施す、形式は違うがそれによった人物の心象変化は比較的容易に並列させることが出来るだろう)、それに対する価値判断は「キャラ」を成立させる諸条件の一つである。

下駄箱にラブレターが入っていた→よし爆破する。(ふもっふ 相良宗介)

お約束展開に対する独特な論理展開がキャラを表現する。このとき群像劇であることはキャラ立ちしていることが良い物語であるとした造形の立脚点から考えるとかなり難しい。

 

表現形式・出版形式および各媒体の限界の差がこの違いとなって表れたのだとするがここでは深く追求しない。

 

なろう作品。

自己充足型などと言われるのを見たことがあるがそれはともかく異世界転生というイベントがありその差別化がそれぞれの作品の中で表現されるイベント。

このイベントがこの先どうなっていくかはしらない。同一規格で構成された部隊が一つのイレギュラーによって滅ぼされる可能性は否定できしないし、人形遣いのようなバグが現れて別のイベントに変革させていくのかもしれない。