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日記

大体そこら辺で拾ってきたなにかです。CVは丹下桜でお願いします。ふええ。

2017/03/22 フレンズこわい

今更ながらけものフレンズを見る。サーバルちゃんがアハハハとか言いながら追いかけてくる開始3分だけでもう怖い。捕まれば「問おう、お前はなんのフレンズだ?」と突きつけられる。アイデンティティなんざもってるかすら定かでないのにいきなり持ってる事前提で「それはどのような形だ?」と突きつけられる、怖い。ここまでサーバルちゃんのルールで物語が進んでる。

と、いうより物語を強制されてる。名前までつけられたかばんちゃんに拒絶という選択肢はない、選択肢そのものが存在しない。

サーバルちゃんが見るものを見なきゃいけないし指し示す方向に動かなきゃいけない。

いつサーバルちゃんが「君は何も出来ないことが出来るフレンズなんだね…」とレイプ目で言って来やしないか冷や汗が出て来る。サーバルちゃんががっかりしたとき、関心の薄れた時が死ぬときだ。

1話終盤、飛んだ紙飛行機にようやくかばんちゃんの主張が出て来てほっと胸をなでおろす。間髪入れずにサーバルちゃん「おもしろーい。それはなに?納得の行く説明を求む」

ほんとに怖い。

選択権はサーバルちゃんにあり、なんであろうとフレンズであることを強制される。

サーバルちゃんのルールを当てはめられて存在を確立させられる。

けものはいてものけものはいないがその集団から逃げられるものもいない。

これ絶対ホラーだって。怖いって。どうかしてんだろこれ。動物がやられてることを人間がやられてんだってこれ。1話以降どうなるかしらんけど一話現在だと怖いわ。

キチガイ 2017/03/12

キチってるおっさんがどうのというタイムライン。

あのおっさん周辺の話題には底知れない闇があってだめだ。グロテスクという言葉では表せないぐらいグロテスク。言葉の限界をあっさり超えてくる現実に辟易。

 

以下、単なる思いつきであり確たるソースは存在しない話。

 

アメリカドラマの作り方は基本的にイベント先行型である。ある日ゾンビが現れたりドームで街が覆われたり群像劇ともされるがその実イベントの多角投写であり、多数の光源が一つの建築物を移していく過程でストックキャラがストックであることを塗り替えていく。ステレオタイプであることは宿命でありストレンジアな論理でイベントを言語化するキャラクターは、少なくともまだイベントの全貌がつかめない序盤や初期メンバーには好ましくない。ウォーキングデッドのタイトル回収シーンがそれにあたる、それだってシーズン4あたりまで伸ばした(記憶が曖昧+確認せず、各方好きによろしく)。

 

日本のアニメ漫画の場合、イベント→リアクションという型を取るのではなくキャラ先行型。ルパンやドラえもんのように自らイベントを起こしハプニングを引き起こす。ここではイベントはむしろ定形であることが求められており(ルパンは盗みドラえもんは施す、形式は違うがそれによった人物の心象変化は比較的容易に並列させることが出来るだろう)、それに対する価値判断は「キャラ」を成立させる諸条件の一つである。

下駄箱にラブレターが入っていた→よし爆破する。(ふもっふ 相良宗介)

お約束展開に対する独特な論理展開がキャラを表現する。このとき群像劇であることはキャラ立ちしていることが良い物語であるとした造形の立脚点から考えるとかなり難しい。

 

表現形式・出版形式および各媒体の限界の差がこの違いとなって表れたのだとするがここでは深く追求しない。

 

なろう作品。

自己充足型などと言われるのを見たことがあるがそれはともかく異世界転生というイベントがありその差別化がそれぞれの作品の中で表現されるイベント。

このイベントがこの先どうなっていくかはしらない。同一規格で構成された部隊が一つのイレギュラーによって滅ぼされる可能性は否定できしないし、人形遣いのようなバグが現れて別のイベントに変革させていくのかもしれない。

 

亜人ちゃんで愛を知る 2017/03/06

 今期アニメはタイミングが合ったら見る、ぐらいの感じで見ている。意識的に見ているのはこのすばぐらい…だったのだがたまたま見た亜人ちゃんがやたら可愛い、我が身が慈愛に包まれていくのがわかるその時の私はとめどない愛の擬人化と言って過言はなかった。原作本を買う。愛でる。亜人ちゃんが存在することが私を中心とする全宇宙の平和であり愛の証明です。

 

どくろちゃんのイラストレータが亡くなったことを知る。

一切は過ぎていくのだが辛い。川端が最後の名人である本因坊秀哉が亡くなったのを知った際に「ずるい!」と口走ったと書いていた気がする。読んだ当時も今も、子供のようだと感じるが気持はよく分かる。

時代劇見たけれど 2017/03/05

超高速参勤交代が楽しい。学園祭のような計画会議。
と思ったけどたのしかったの最初の30分ぐらいでなんとも、なんで恋愛っぽいものいれるのかね
あまり関係ないがつくづく人斬り抜刀斎の実写は凄かったんだなと


来季アニメの「アリスと蔵六」のスタッフに高山文彦の文字。

高山文彦といえば劇中劇だが、他方光を使っての劇上劇を演出することも好む。
パト3ではドーム、ラーゼフォン「ブルーフレンド」やダフネ「大波動2」ではビルの光、ストレンヂアでは火矢を使って舞台を演出する。
そのラインで見た魔乳秘剣帖ではまったく違う光の使い方をしていて笑った記憶があるが、詳しく覚えてない。

魔乳秘剣帖の作者、少年ジャンプ+で連載していて笑う。なにがなにやら。

ポンコツゾンビ 2017/03/04

デュアルモニターにするとネットに繋がらなくなる(なぜか不安定になる)という妙な手順で雑な結果をお出しするポンコツ仕様のパソコンのせいでふーるが見れない。

DVDを借りることになる。

アメリカのドラマが気になるんだけどもジャケットに惹かれて手に取ってみればシーズン6でこのシーンに行くまで俺何時間過ごすのよ、と。知らねえドラマの6巻だけ借りるという借り方もありといえばありか。適当にめくった週刊漫画誌の気になる一ページを見るように。

 

Zネーションというゾンビものを借りる。
ウォーキング・デッド以前以後でゾンビ映画が変わるのではないかと思っていたのだが、なんとなくそこら辺の風味が感じられる。
変わる、というのは主に企画の通りやすさの関係で、今までのゾンビ糞映画といえば金髪巨乳のちゃんねーがおっぱい振り回しながらギャンギャン叫ぶのが基本水準だったのが一転してパンデミックという状況下における複雑で退屈な人間模様という種類の糞映画になるのでは、という仮説。
このドラマ少しまえだったらもう少し違う感じだったのではなかろうか。顔とおっぱいだけで全てを手に入れたようなモデル上がりのねーちゃんが足りねえ。

 

そんなわけで借りる前も見てる間も期待していなかったのだが思いの外正しい夢落ちを見る(正しいといっても面白いという話ではない)

夢落ちで重要なのは不安であって夢であるかどうかは関係ないのね 
芝浜のように語り手を信じるしかないあやふやさ、ギリアムとかバートンのなりそこないのような、なる過程のような変な映像。

 

夜、飯食ってないこと思い出して焼き飯食う。眠る。

ホライゾン村上 2017/03/03

ホライゾンゼロというゲームをやってるのだがいまいち乗り切れない。
戦闘は面白いのだが、ストーリー関係がどうにもこうにも。
語り口がまずいわけではない、むしろ高等な部類にはいるだろうがなにぶん戦闘が面白いので関心がなくなる。
関心のない話に興味をもたなければならない感じが余計嫌なのだと思う。ゲームシステムと相性が悪い。どうでも良いからはやく戦わせろよ、となる

これならばニーアの方がリアリティがあるように感じる――といってももちろんこれは方向性の違いが多分にあり、システムと組み合わないホライゾンのリアリティは関心のない隣の家の晩御飯を写実的に描くものであるのに対してニーアのリアリティはおとぎの国の魔法使い的なもので、並列させること自体が間違っているのだが

 

HARUKIの新作が出てることに気づく。相変わらずレビュー欄が上手いこと言おうとしてるおっちゃんおばちゃんが沢山いて微笑ましい、ツイッターの方では更にそれを皮肉る上手いことが2千リツイートぐらいされてそうなのだがどうだろうか。素人学芸会にて行われる宴会芸の様相。
書評の類って基本的にオタクみたいなのが書いてて本をよむこと自体がイベントになるような層には縁遠いものと思っていたが100万部売れるとはつまりそういうことなのだろう。そこそこ稼いであとはもう死ぬぐらいのものなのにそれでも書くことができるのはえらいなぁあのおじいちゃん。本読んでねえけど。